こんにちは。今日はとてもいい本を読んだので感想も含めてLogを残そうと思います!

✿読んだ本✿

好き嫌い―行動科学最大の謎―

最近、30歳を前にして 自分がこれだけはやりたいと思うことって何かな と自問自答することが多くなりました。同世代の方々が起業したり、社会活動に一生懸命になっていたり、企業の勤め人として真面目にコツコツ頑張っていたり、家庭に入って家族のことに一生懸命心を砕いていたり。様々なタイプの分かれていっているなと感じています。正に分岐点。

私は一度、社会人1年目の時に自分がしたいことがわからなくなりました。思い描いていたキラキラ社会人と企業勤めのギャップを経験し、ひどく困惑したのを覚えてます。

なんかもう、当時の自分を振り返ると恥ずかしいのですが

 「皆、いろんなことを言いたい放題言って、、、誰が言ってることが正解なんだよ!」

と半ば怒ってましたw  誰に対して怒るんですか、ですよね。

当時はいわゆる大企業に入社したので、余計に自分の地味な毎日の仕事が一体世界にどんな変化をもたらしているんだと、こんなことして意味あるのかと目の前の仕事の意義を疑う日々が続きました。

その後、そもそも正解なんて無いんだという、よく言われることを心底実感していきました。人には恥ずかしくて言えない失敗もしたり、立ち直ったりしながら、28歳になり。改めて、自分の好きなことや自分の問題意識を大切にする人生がいいなあと思いこの本に出会いました。

結論から言うと、この本にももちろん好きという感情の「答え」 は載ってません。

「自分の好きなこと やりたいことがわからない」

「何に一生懸命になればいいかわからない」

等のお悩みをキレイに解決するものではないのですが、「好き」のメカニズムを科学的に論じており、自分自身の気持ちへの問いを作るためのきっかけづくりになるような本です。また教養としても面白い本でしたので以下、簡単にメッセージを要約します。

・「好き」は分類によって脳で処理される
・「好き」は状況に左右される
・「好き」は説明によって規定される
・「好き」は相対的である
・「好き」は分類によって脳で処理される
まず、例として「青色が好き」という方がいらっしゃったとします。ただその方が「青い服は好きではない」ということは往々にしてありそうですね。
これが1つ目の好きの難しさです。
私達の脳は「〇〇な青は好き」という条件分類によって好きという感情を処理しています。
女性なら想像しやすいと思うのですが
「夏向けのシースルーブラウスがほしいなあ」と思ってネット検索しても
「これはフリルが大きすぎる」「これは切り返しのラインがダサい」「丈が長すぎる」
などなど。挙げればキリが無いくらいこの前提条件や分類は無数に在り
「真の好き」にたどり着くのは本当に本当に難儀なことのように思います。
・「好き」は状況に左右される
「ホラー映画は好きでも、彼氏と見に来たんだから違う映画が見たい」
「コーヒーは好きだけど、スカッとしたい気分だから炭酸にしよう」
これらも想像に難くないですね。
最近、Webでなにか検索すると位置情報を求められることが増えていると思います。これは正に、ユーザーが何かを調べる(≒知りたいという欲求が生まれる、何かを欲しいと思う)というアクションが起こっている際の状況を集めたいという動きです。Amazonやネットフリックスでお馴染みのレコメンド機能。これらのアルゴリズムはかなり複雑で日々人の「好き」を追求しており、こちらが少し不気味に感じるくらい、状況把握に努めているのです。
・「好き」は説明によって規定される
「好きな数字はなんでしょうか?」と聞かれた際、あなたはなんと答えますか?またその理由をうまく説明できますでしょうか?「7が好きです。ラッキーセブンだし。」「5が好きです。5月生まれだから」など、好きに何かしらの理由付けをして処理しているのが一般的です。しかしこの「言葉で規定して処理する」特徴は、実は我々が「好き」を誤認する理由にもなるのです。
例えば「好きな映画は何ですか?」と聞かれた時に、有名な監督の作品を挙げ、理由に作品の芸術性や情動を人に説明したとします。だが、実際にその人が最もよく視聴する映画作品はダラダラ見ていられるブラック・コメディ作品。(そんなシチュエーション、ありそうですよね。)これは「好き」を人に説明する際に「それらしい理由付け」を用意することから始まります。「〇〇監督作品が好きな私」と自分自身を規定してしまうことで関連性を見つけるのが難しい趣向は「自分には合わない」と処理してしまうような自体が発生します。
・「好き」は相対的である
「コンテストは最期の方が有利」とはよく聞く話です。一体なぜなのでしょうか。これは人は覺えているものを より好きなものであると認知するからです。
また、「好き」という感情は必ず何かと比較されていることが研究で明らかになっているようです。まだ知性の発達していない赤ん坊でも「比較」ということをする習性があると言われており、これは人間が昔から 選択行為を繰り返し行ってきた為自然なことなのかもしれません。
つまり、一言でまとめると「好き」は結構曖昧、ということです。そして曖昧な中にもいくつかの原則があり、それらを知っておくことで自分の「好き」は自己欺瞞ではないのか、どういう時に好きという感情が起こるのかといった俯瞰する力と内省のためのツールとなります。
やりたいこと探しのジプシーになるのは良いのですが、好きは結局行動頻度や状況によって変わるということが分かれば、これといったやりたいことが見つかっていない状況にも要らぬ焦りを取り除き、本質を見定めることができるのではないでしょうか。
では、どろん。

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